*放送後記*
今日は小林愛菜が中継をお届けしました!
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★ファクトリーアウトレットマルシェ
今日のファクトリーアウトレットマルシェには、
「ルピシア謹製元町カレー」初登場です!
植松シェフがコトコト煮込んで作ったビーフカレー。
菊芋が入っているほか、伊達産の甘~い玉ねぎが入っているので
甘いけどスパイシーな味わいなんだとか。
お鍋やタッパーなど容器を持参すると、
ニセコのおいしい新米とあわせれば、
ご自宅でレストランの味が楽しめますね♪
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もちろんカレー以外にも、お弁当やサンドイッチ、
お菓子に焼き立てパン、冷凍食品など、
今日もお買い得がたくさんのマルシェでした◎
来週のマルシェは、ハッピーハロウィン!
仮装してきてくれたお子さまに
お菓子のプレゼントがあるそうです。
来週もぜひご家族皆さんで早起きをして
マルシェ会場にお越しください(^^)/
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Brand New Saturday初、留寿都村からの中継でした!
今朝の留寿都村はなんと…、雪!!
雪といっても、まだプラスの気温ですから
水分いっぱいの重た~い雪です。
今シーズン初、雪の中での冷たい中継になりました。
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実は留寿都村、かの有名な童謡
明治38年に函館に渡ってきた
岩崎かよさんと娘のきみさん。
かよさんは当時留寿都村に開かれた「平民農場」で
鈴木志郎さんと出会い、結婚します。
厳しい開拓地へ娘を連れていけなかったかよさんは、
函館のアメリカ人宣教師夫妻のもとへ
きみさんを預けました。
その後平民農場は厳しい気候や度重なる災害によって
明治40年に閉鎖。
鈴木夫妻は札幌に出て暮らすことになるのですが、
その時ひとつ屋根の下で一緒に過ごしていたのが
野口雨情一家。
かよさんは、娘のきみさんが宣教師夫妻と
アメリカに渡ったと思っており、
その悲痛な境遇を野口夫人に話していました。
後にその話を野口雨情さんが
童謡「赤い靴」としてしたためたんだとか。
しかし、実際にはきみさんは渡米していなかったことが
のちに判明しています。
きみさんの妹にあたる、鈴木夫妻の娘さんが
昭和48年、童謡「赤い靴」のモデルは
実の姉であると新聞に投書。
そこから報道機関の協力で捜査が進められた結果、
きみさんは病のために渡航せず、
明治44年に東京で9歳の命を終えていたことがわかりました。
残念ながら、母と娘が再会を果たすことはできませんでしたが、
かよさんがきみさんへの思いを口にし、
その思いを野口雨情さんが童謡という形にしたことで、
母娘の思いはいつまでも語り継がれることとなりました。
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赤い靴公園には、そんな童謡「赤い靴」をイメージした
岩に腰かけた少女が、じっと遠くを見つめている像です。
その視線には、遠くの母を思う心が表れています。
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童謡「赤い靴」については諸説あり、
日本のあちこちに女の子の像が建てられています。
昔のことなのではっきりしないことも多いのでしょうけれど、
当時は苦しい開拓生活を送っていらっしゃった方がたくさんおり、
同じような境遇をたどった母娘が多かったのでしょうね。
このニセコエリアも、そうした苦しい思いをしながら
開拓を進めてくれた先人たち一人ひとりの人生があって、
今があります。
赤い靴公園は小さな公園ではありますが、
そのような由来をイメージしながら銅像を眺めると
非常に心が洗われます。
ドライブの途中など、立ち寄ってみてはいかがでしょうか?