*放送後記*
今日は2か所から中継をお届けしました!
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ニセコから5号線を通って倶知安の街なかに向かう際、
尻別川を越えてすぐのところにある公園です。
車で走っていると一瞬で通り過ぎてしまいますが、
意外に広く、羊蹄山が望めるほか、噴水広場があったり
藤棚、花壇や水飲み場、遊具もある
大型車も停められる駐車場には公衆トイレや
自動販売機があり、長距離ドライバーの方が
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公園の名前にもなっている、レルヒ中佐の像です。
本名は、「テオドール・エードラー・フォン・レルヒ」。
レルヒ中佐は、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人として働くうち、
スキーに興味を持ち、アルペンスキーの創始者である
マティアス・ツダルスキーに師事します。
当時、国内で山岳部隊の雪崩事故が起きたこともあり、
レルヒ中佐は軍隊にもスキーが必要だと働きかけました。
その甲斐あって軍隊に正式にスキーが導入されてからは、
講習会の講師としてスキーを教えていました。
日露戦争が終わったのち、レルヒ中佐は日本陸軍の研究のため
日本にやってきて、新潟県の師団に配属されました。
日本陸軍は八甲田山で遭難事故を起こしたばかりだったため、
レルヒ中佐のスキーの技術に注目。
レルヒ中佐はそれに応え、兵営の庭で
日本の軍人やその夫人たちにスキーを教えました。
これが日本にスキーが広まる第一歩です。
つまり、レルヒ中佐は日本で最初に
本格的なスキー指導を行った人なんです。
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レルヒ中佐は倶知安町にも来ています。
旭川第7師団にスキーを教えるために北海道に上陸し、
北海道でのスキー訓練の総仕上げとして
羊蹄山での滑走を行いました。
雨で1日延期にはなったものの、
羊蹄山にのぼり、スキーで滑って降りたという記録が残されています。
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今日のニセコエリアは、全国、全世界から
スキーヤーが集まる場所です。
でも、もしも日本にこれだけスキーというスポーツが
広まっていなければ、たとえ質の良い雪が降ったとしても、
スキーヤーが集まることもなければ、
スキー場すらなかったかもしれません。
そう考えたらレルヒ中佐像、
車で素通りするわけにいかないのではないでしょうか。
レルヒ中佐がいなければ、ニセコはこんなに
注目される場所になっていなかったかもしれないんです。
「レルヒ記念公園」、公園ですので
いつでもだれでも気軽に立ち寄ることができます。
お買い物ついででも、ぜひ一度
足を運んで見ては?
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ニセコ町豊里地区にある、
ダチョウと肉牛を飼育している牧場です。
ダチョウは夏の間は常に放牧されていて、
誰でも写真を撮ったり、餌をあげたりすることができます。
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第2有島ダチョウ牧場では、ちょうどいま、
卵のふ化の時期を迎えています。
ダチョウの放牧地から少し離れた倉庫の中に、
卵をふ化させる設備があります。
ダチョウの卵は、直径10~15㎝くらいの大きな卵です。
産み落とされた卵は、ふ卵器に入れられ、
黄身が偏らないよう、少しずつ角度を変えながら温められます。
ふ卵器の中は、36.5度ほど。
卵の状態はひとつひとつ、毎日細かに記録されます。
ふ化の時期が近づくと、こまめに表面にライトを近づけ、
内側の膜が破られていないかを確認するそうです。
内側の膜が破れてきたのを確認したら、
ヒナをふ化させるお部屋へ移動。
こちらのお部屋も、だいたい人間の体温と
同じくらいの温度に保たれています。
その場所でヒナはゆっくりと、
内側から殻を割って出てきます。
殻を割る頃になると、ヒナは肺呼吸に切り替わるので、
内側からかたい殻を破るのは、
とっても大変なことなのだそうです。
やすみやすみ、長い時間をかけて誕生します。
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私は普段、卵って食べ物として見ているので
なんとなく「物」って気がしていました。
でも、今回卵が大事に温められて、
卵の状態が変化している様子を見せてもらい、
卵も「生きもの」なんだと感じました。
普段何気なく食べている卵ですが、
ひとつの命をいただいているんだということを実感しました。
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第2有島ダチョウ牧場では、こうして卵のふ化からと殺まで
一貫して行っています。
修学旅行生などが訪れることも多く、
私のように、命をいただくことについて考え、
学ぶことができる場となっています。
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卵のうちから愛情をこめて、大切に育てられたダチョウは
とても人懐っこく、優しい目をしています。
ぜひそんなダチョウに会いに、第2有島ダチョウ牧場に
足を運んで見てはいかがでしょうか?
ダチョウの卵を使ったお菓子などが楽しめるカフェもありますよ♪